もう23年になるのか・・・。

東北の大震災も
仙台で経験したので
また、お伝えしたいと
思いますが

阪神淡路のときは
奈良に住み、

大阪に通い
神戸のお客様も
担当していた。

奈良の自宅は
ほぼ揺れず、
空のペットボトルが
倒れる程度。

テレビをみると
大阪支社の
ビルの屋上にあるクレーンが
最上階の窓ガラスに
直撃し、

ちょんまげのように
なっていた。

ただごとではないと
会社へ行ったが、

フロアのコピー機が
端から端に吹っ飛んでいた。

事態を把握し、
食糧がないであろう
神戸のお客様のもとへ

何を考えたか
カップ麺を買いあさり、
洋服やさんの
大きな紙袋に入れて

両肩にかけて
飛び出した。

とはいえ、
神戸までの電車が動いているはずはなく
人は線路の上を歩いていた。

高速の高架も
倒れていた。

以前住んでいた尼崎の
まさに通勤路の国道2号線に
高架が落ちてきていた。

やむなく、
海路を選んだ。

大阪の南港から
神戸のポートアイランドに
ジェットホイルが出ていた。

ポートアイランドに着いても
タクシーがあるわけでもなく
ひたすら歩いた。

地面は、亀裂や、隆起が激しく
まともには歩けない。

ようやく
お客様の事務所のある
小さなビルに到着すると

少し斜めに傾いて見えた。

いつも元気な
社長さんの明るい笑顔に会えた。

「吉野氏〜(社長が常々、私を呼ぶ際の愛称)

 えらいことになったわー(笑)」

笑い事ではないときに
笑っている社長に会い、

無事が確認できると
肩から力が抜けた。

何もできない立場で
何をしていいかもわからず
動くことも時には
必要なのだ

と感じた三十路であった。